091宇宙
三世(さんぜ)の実在


 仏教では、現在の人生(現世)は過去の生(過去世)と未来の生(来世)と厳然とした一貫性のあるつながりの中で生じている、と説いている。この過去世、現世、来世を総称して三世(さんぜ)と呼んでいる。

 過去世における全ての所作が累積して原因(因)となり環境と条件(縁)が整うことにより現世が生じる(果)、また現世の因が集積して縁により来世(果)が生ずる、という因縁果(もしくは因縁果報)の絶えることのない連続の姿が三世として捉えられている。
 この三世のそれぞれの死と次の生の間には、生命体としての能動的な活動が停止し物質的な個体としての姿が消滅する期間がある。これは個としての生が宇宙の中に拡散し溶け込む、いわゆる冥伏(みょうぶく)の状態としている。生きている状態を有(う)とするならば、この冥伏は空(くう)の状態と言える。この状態は無(む)ではなく、環境条件が整えば再び生ずるがゆえに空と言える。
 このように人の存在のアイデンティティ(特質)、これを仏教では業(ごう)と言い換えても良いが、が生(有の状態)と死(空の状態)とを繰り返しながら、因・縁と果の連鎖を反復累積していく。この過去の因の集積の結果としての現在の果、それが更に未来の因となっていく、この三世の存在を重視し真理として現在の人生を位置づけているのが仏教、特にその最高経典といわれる法華経の教えのバックグランンドとなっている。

 仏教は三世の存在を大前提としてその法理が成り立っていると言い切って良いかと思う。元々三世という思想は輪廻(りんね)という考え方と同根であり、この輪廻思想は古代インドで育まれたものであり、釈尊が輪廻を認めた教えを説き始めた時代に、既に輪廻思想が一般化していた。従ってヒンドゥー教の源流とも言えるバラモン教も輪廻転生を取り入れている。もっともバラモン教の場合は過去世と来世の期間が有限とされており、仏教・法華経の場合の無始無終の無限の時流れにおける輪廻とは世界観が異なっているが。
 いずれにせよ仏教・法華経では輪廻もしくは三世の存在を肯定しており、その大前提の上に人の幸不幸の原因と解決を説いている。これが他の世界宗教といわれるキリスト教とイスラム教との大きな違いが生じている背景となっている。この二つの大宗教は共に、最後の審判により天国に導かれるとしており、過去世を認めておらず現世が全てであるとしている。もっともアダムとイブが自分の体の一部から人を造ったとしているが、その作られた人は今の自分なのかそれとも過去の自分なのか、思索の迷宮に入り込んでしまうことになってはいるが。また死後の天国も現世の延長としての来世ではなく全く異なる理想郷として説かれている。
 大要、「三世」は仏教の特徴と言っても良さそうである。

 ここで、三世とは何か?と問いたい。
 三世まずありき、ではなく、なぜ『三世はある』と言えるのか。

 古代インドからの3千年以上の歴史の中で言われてきていることであるから、というのもひとつの説明ではあろうが、キリスト教またその元となったユダヤ教の2千年以上の歴史においては取り立てて三世に言及することはなかった、という反論も成り立つ。従って長い時間信じられてきたというのは論理の堂々巡りになっていまう。

 また、仏教は三世を肯定することにより、全法理の整合性が確立されている、従って前提となっている三世の存在の有理性が証明されている、という主張もあり得る。この論法による三世の存在の妥当性はかなりの説得力を持っていると思える。しかし、これも「整合性」の定義が不完全である限り完全な論理とは言えない。

 次に、記憶の再現という実例に注目してみたい。米国バージニア大学医学部では半世紀以上にわたって学問として前世を検証している。そこには前世のことを思い出した子供たちの体験とその事実検証の記録が多数保管されている。前世を否定するキリスト教風土の中で米国での体験者はアジア地域の体験者より報告数が少ないらしいが、事実検証が厳密になされた体験が採録されている。数年から数十年前の全く他人の記憶が幼少期に現れる体験が検証され、科学的な学問として成立していることに興味を惹かれる。記憶だけではなく過去世に受けた傷跡がアザとして現れ生まれてくる事例もあるようだ。
 この過去世の記憶などの再現現象が実際にあることは、三世の存在を強く示唆することかもしれない。

 ここで、私は数学に対する信頼感を持っていることを言っておきたい。私自身は数学者ではなく素人であり、漠然とした形で断片的にしか数学に触れるしかないが、それでも数学的な思考方法や確認方法は普遍性があると思っている。
 現在の数学は未だ未証明の定理が存在し、未発見の定理もそれを上回るほどあることが予想され、完全に宇宙の法則や真理を解き明かしているとは言えないのも事実であろう。しかし素粒子物理学の研究場面において、例えば超対称性理論が数学の理論からの応用であるように、科学の最先端の理論構築に数学が大きく貢献している姿を見るにつけ、全科学的な宇宙の現象解明努力が続いている中で、数学が最先端でリードしていると私は思っている。数学の理論構築の手法は極めて原理的でありまた厳密であることが要求されており、その積み上げによって宇宙の法則や真理、あえて言えば宇宙のキャラクター、を明らかにしつつあると思っている。帰納法的な宇宙解明のアプローチの有力な手段のひとつが数学ではないかと思っている次第。

 数学の成果のひとつに、『巨大分類定理』がある。これは「有限単純群の分類定理」とも呼ばれ、「この宇宙で観測される対称性は4つのカテゴリーに分類される」という定理である。この定理は15,000ページに及ぶと言われる非常に複雑な証明がなされている。
 ここで対称性とは、何かが一連の変換を経た後に、もとと同じに見えることを言う。素粒子の基礎となるクォークの配置から銀河の分布に至るまで、対称性はこの宇宙世界のあらゆる場所に潜んでいると言われている。
 『散財型単純群』は4つのカテゴリーの内の巡回群、交代群、リー型単純群の3つのカテゴリーのいずれともマッチしない26個の群から構成されている。散財型単純群で最大のものはモンスター群と呼ばれ、10の53乗という宇宙規模の元(構成要素)を持っている。

 『自分』は人間として生まれた。
 生物学的な『ヒト』として見ると両親の卵子と精子から遺伝子を引き継いでその生命化プログラムによって最初は母体の血液からその後はこの世界に存在する食料や大気からさまざまな分子や原子を取り込んで人の体を作り上げてきた。
 今の自分のヒトとしての物質的な体だけに焦点を当てただけでも、極めて膨大な環境要因が関係していることに気付く。生命として誕生した時点の要因だけでもカウント不可能なほどの環境要因が絡んでいる。場所は地球の緯度と経度と高度を幾ら精密に記述しても場所を特定することにはならない。生まれた病室自体も様々な影響で体に感じられないくらいの振動をしており、精密に言えば刻々と位置が変わっている。また地球自体も太陽を周回しており決して同じ位置に留まっていない。太陽系自体も銀河系と共に動いている。銀河系すら大宇宙の中でものすごい速度で移動している。自分のヒトとしての生命が誕生したときに関係した無数の要因の中で場所だけについても宇宙規模の要因を含んでいる。
 場所だけではなく時も同様である。更に自分を誕生させた受精は両親からの卵子と精子のマクロ・ミクロに亘る物質的・化学的な影響の結果でもあり、巨大な遺伝子情報も自分の誕生に関わる要因の一部となっている。自分の誕生に影響を与えた両親の卵子と精子ですら、両親の誕生した時以来の全ての要因が関係し影響を受けた結果として存在した。更にその両親の親、その親、と際限なく要因範囲と要因数は等比級数以上の勢いで拡大してしまう。親更にその祖先からの影響はヒトとしてだけの影響に止まらず、人間として生まれ育った社会環境や人間関係などからの精神的、物理的、社会的、化学的、などなどのこれまた無数の要因から影響を受けている。
 自分が生物学的に誕生した時点にどのような要因が関係していたかをざっと見ただけでも以上のような無数無量の要因数があることがわかる。また自分が誕生してから現在に至るまでもそれに劣らない無数の要因が関係して現在の自分に至っている。
 自分を成立させる要因は数を論ずれば億とか兆とか京とかそんな取るに足らない要因数では決してない。しかし、百年前の誰か人間がいたように、また一万年前の縄文人が日本にいたように、おなじく人間と定義できる他人が過去にいたことは間違いない。
 『人間』と定義できる生物が時を超えて繰り返し繰り返し現れてくることは、数学的に言えば対称性を持ってた有限個の現象群である、ということになる。
 更に、『自分』は数多くの人間の中で特異な存在として認識される。他人とは何かが異なる、人間の群の中にありながら自分独自の存在特徴を備えている存在、それが『自分』である。
 もし『人間』群が宇宙大の要因により対称性を持った存在であるならば、その特異構成要素である『自分』もまたそれ以上の存在となる。
 『自分』も巨大分類定理により必ずどれかのカテゴリー群に属することになる。そしてそれは少なくとも要因数が宇宙大の巨大数となるモンスター群には属する対称性を持った存在として位置づけることができることになる。
 『自分』を特徴付けるものは、それが業(ごう)と呼ばれようと我(が)と呼ばれようと、その対称性(存在特徴)を保持した『自分』が過去にも存在したことになる。それが『自分』の存在を巨大分類定理から帰納した帰結となってしまう。
 
 三世は実在する、と言えよう。

[参照文献など]
 KOzのエッセイ#005「因果律」
 KOzのエッセイ#082「成住壊空」
「巨大分類定義を継承 数学者たちの挑戦」Stephen Ornes著(日経サイエンス 2015.11号)