063a_ボッケ063b_コオロギ柵
阿寒湖のコオロギ


 道東に位置する阿寒湖はマリモの生育地としても知られている。
 マリモ(鞠藻)は日本国内だけではなくヨーロッパや北米など北半球で広く分布している藻の種である。マリモが非常に微妙で特殊な自然環境の中で球状に形成されたのが球状マリモであるが、球状マリモは世界的な環境の変化に伴って消滅してきており、今や阿寒湖北側のチュウルイ湾が唯一の球状マリモの群生地となっている。マリモは自然環境に非常に敏感な植物といわれるが、微妙な自然環境がかろうじて維持されている阿寒湖がマリモの生息の場を与え続けている。
 北半球のマリモは全て阿寒湖のマリモを起源として、渡り鳥などが阿寒湖のマリモを他の地域に運んだと言われている。
 阿寒湖を発祥地とするマリモは現在その阿寒湖のみで、緑の毛氈鞠(もうせんまり)のような本来の美しい姿を見ることができる。非常に貴重な阿寒湖の自然と言えよう。

 マリモが群生する反対側、阿寒湖の南端には、阿寒湖の特殊な自然が守る別の生物が生息している場所がある。
 ボッケ(アイヌ語で「煮え立つ場所」を意味する)とよばれる湖畔の窪地から熱泥水が湧き出る場所がある。周辺は硫黄の臭いがただよう針葉樹の林となっている。
 ここにコオロギが生息している。
 阿寒湖の冬は厳しく氷点下20度を下回ることも珍しくはない厳冬の地であるが、ここに温帯性の昆虫で本来は本州以南で生息しているコオロギが住みついている。
 ツヅレサセコオロギとハラオカメコオロギがこの場所に生きている。他の温暖な生息地から隔離された陸の孤島のようなこのボッケのある場所にコオロギが生息できているのは、地下のマグマからボッケにまで伝わってくる地熱のおかげである。地面を触ると温かい。
 この温かい地面のおかげで真冬でも周辺の雪が溶け、コオロギは凍死することなく生存できる環境となっている。
 現在はコオロギの生息場所数カ所の周りにはエゾシカの進入を防ぐ防護柵が設置され保護が図られている。

 人類を含めて全ての生物はその発生から永い時間をかけて、また生死をかけて、その生存範囲を広げてきた。無限回とも思えるこれらの挑戦の結果、地球上にあらゆる生物の分布が拡大してきた。
 ボッケのコオロギもこの場所に生存の場所を確保するまでには、種として大変な数のトライアンドエラーの繰り返しがあったはずである。トライとは今の生存できる場所から外に出ることであり、エラーとは個体の死を意味している。
 今もボッケの防護柵の中から何匹かのコオロギが外に飛び出し、地熱の保護もない場所に移ろうとしているかもしれない。中には、運良く数百メートル離れた阿寒湖畔のホテルか旅館にたどり着き、更に運が良ければ一年中温かい調理場にすみかを見つけることができるコオロギもいるかもしれない。
 現在では自然だけではなく人間の生活インフラや移動インフラも、コオロギなどの生物の生息域を拡大する環境になっているのかもしれない。

 いずれにせよ、阿寒湖の自然の中で生きているコオロギとマリモに、生物の種としての生存のすごさともろさの両面を見る思いがする。

[参照文献など]
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/skn/sizenhome/100p/E25p.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/マリモ
http://ja.wikipedia.org/wiki/阿寒湖