040_タンポポの種子
憲法解釈の限度


 無条件降伏により戦争が終了した翌年、1946年(昭和21年)11月3日に現日本国憲法が公布され、1947年(昭和22年)5月3日から施行された。
 この日本国憲法はその第2章第9条にその特徴・特質が集約されている。他国の憲法では皆無となっている「戦争の放棄」が次のように謳われている。(文脈係りを掴むための参照として英語対訳も付記する)

第二章 戦争の放棄
第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
CHAPTER II. RENUNCIATION OF WAR
Article 9. Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes. In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.
 憲法制定から今日に到るまで、この第9条の解釈をめぐりさまざまな学説や政治解釈がなされてきている。
 なぜ解釈が分かれるかは、国際法上でも認められているいわば国の基本的主権ともいうべき「自衛権」が憲法の原文に忠実な解釈では否定されている(と読める)こと、更に、他国からの侵略に対応する実行力(防衛力)が同様に否定されている(と読める)こと、に原因がある。
 以来、力の論理が強く働いている現実の国際社会の中で、日本の領土保全と独立を維持するためにはどのように諸現実に対処していくべきかが求められており、その全ての行動規範となる憲法の解釈について意見が分かれる実情がある。
 特に、「自衛権」、「戦力」、「交戦権」について解釈の違いに極論があることより、それがどの程度の幅があるのかを明確にしておきたい。

 (極論下限)
 まず、最も憲法第9条に忠実な解釈、即ち最も理想的理念に基づく解釈は、
 「自衛権」 自衛権を放棄している。
 「戦力」  一切の戦力を保持してはならない。
 「交戦権」 第9条1項と同じ意味(戦争放棄)において
       も、国際法上の交戦国に認められている権利も
       含めて、交戦権を認めない。
 この解釈は、戦力以外の方法で日本の独立と平和を維持するが、万が一武力で侵略された場合は警察力で対処する(もしくは米国などの友好国に守ってもらう)、という考え方である。

 (極論上限)
 最大限に拡大した解釈は、
 「自衛権」 第9条は、国際連合で規定されている国際法上
       の権利である個別的自衛権と更に集団的自衛権
       の両方を認めている。
 「戦力」  自衛のための戦力(自衛力・防衛力)は認めて
       いる。
       わが国に対して誘導弾等による攻撃が行われた
       場合、その防御のために相手の誘導弾等の基地
       を攻撃することは自衛の範囲に含まれる。
       核の抑止力も否定していない。
 「交戦権」 第9条全項でわが国が他国に対して戦争を起こ
       すことは禁止されているが、自衛のための交戦
       権は認められている。
 この解釈は、自衛のためであれば防衛力も交戦権も、第9条2項の戦力と交戦権の否定には該当せず最大限認められている、という考え方である。

 (中間解釈)
 上記の両極論の間においても多様な解釈があり、国際環境の変化に応じてその時々の政権によって解釈に変化がみられるが、現時点での解釈はほぼ次のようなレベルにあるといえる。
 「自衛権」 個別的自衛権を認めている。
 「戦力」  自衛のための戦力は認めている。
       従って他国に脅威を与えるICBM(大陸間弾道
       弾)や戦略爆撃機や攻撃型空母などは保有でき
       ない。
 「交戦権」 他国からの領土・領空侵犯に対しては交戦権を
       認めている。
 この解釈が現自衛隊の保有する防衛力の存在を合法化しているが、集団的自衛権については議論のわかれるところとなっている。

 解釈の課題となっている「集団的自衛権」とは、他の国が武力攻撃を受けた場合に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利である。
 国際連合はこれを、武力攻撃が発生した場合に必要性・均衡性・攻撃を受けた旨の表明・援助要請を条件に攻撃を受けていない第三国の権利として認めている。

 しかしながら、国際法上認められていることと、日本国憲法がこの集団的自衛権を容認しているかどうかの解釈は別のことであり、私は次の理由により現憲法下で集団的自衛権を安易に容認してはならないと信じている。
 ① 集団的自衛権は実質日本の領海・領空に限定することができなくなる性質のものであり、自衛戦力(自衛隊)の活動範囲を全世界に拡大させ、それによりわが国が戦争に巻き込まれる可能性を増大させてしまう。
 ② 北方領土の課題を解決しロシアと平和条約を締結することが日ロ両国の戦略的利益に合致すると考えているが、集団的自衛権は実質的に現状の日米安保条約を過剰に強化することになり、もしロシアとその仮想敵国である米国とが日本近海で軍事衝突を起こした場合、日本はロシアに対して米国と共同軍事行動を起こすことになり、これが日ロ平和条約を破綻させる最大の原因となってしまう。
 以上の視点より、集団的自衛権に関わる国際法の存在は放置してもわが国の不利益にはならないことであり、あえて集団的自衛権を国是として表面化させるべきではないと考える。

 個別的自衛権であれ集団的自衛権であれ、「自衛」というのは国の主観が安易に作用する概念であり、戦力行使の理由付けに必要であることも事実ではあるが、戦力行使の抑止力としては甚だ不十分な効力しか持たないことも歴史が語る事実である。
 少なくとも日本には過去70年間まがりなりにも平和を維持できた憲法が現存するわけで、集団的自衛権だけはその解釈の対象外とするのが、恵まれた環境における日本人の知恵であろうと信ずる次第である。
 
[参照文献など]
「日本国憲法第9条 - Wikipedia」http://ja.wikipedia.org/wiki/日本国憲法第9条
「集団的自衛権 - Wikipedia」http://ja.wikipedia.org/wiki/集団的自衛権
「日本国憲法 - Wikipedia」http://ja.wikipedia.org/wiki/日本国憲法
「日本国憲法(和英対訳版」http://www.akon.sakura.ne.jp/constitution/
「憲法と自衛権」防衛省・自衛隊
   http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/seisaku/kihon02.html