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ヒトの定義


 人をカタカナで「ヒト」と表記すると、生物学ではホモ・サピエンス(Homo sapiens)と命名された生物の種としてのヒトを意味する。
 このヒト種には、現在地球上で生存している人類(Homo sapiens sapiens)だけではなく、旧人類などのヒト亜種も含まれる。

 ヒトは現代生物学の草創期(18世紀)から学名としてホモ・サピエンスが与えられており、それが適切なものであるかどうかは別にして学名としては既に定着している。従って、「知恵・知性のあるヒト」という意味のホモ・サピエンスという学名そのものについては、命名の由来がそのようなものであった、と知っておけばよいと思う。

 尚、スウェーデンの生物学者であったリンネ(Caroli A Linne)がこのホモ・サピエンスという学名を選ぶにあたっては、ヒトが他の動物と本質的に異なる特徴として知恵・知性を持っていることとしてリンネ独自の常識的な判断で命名したと思われ、普遍的な生物学的基準が確立してたわけではない。チンパンジーを2番目の人類(Homo troglodytes)としてヒト属に入れる誤りも見受けられることからも明らかである。
 現在では、ヒトは直立二足歩行を行い更にヒト特有の文化を持っていることで、類人猿その他の生物と区別している。生物学的なヒトの定義が生物学的側面からだけでは定義できないことより、「ヒト」をあらためて「人=人間」として定義していることになる。

 リンネがヒトの学名をホモ・サピエンスとして命名したことによって、結果としてヒトの定義について大きな問題提起をしたことになった。人は地球上に生息する他の全ての生物と比べて何が本質的な違いなのか、人の生物としての他に無い特徴とは何かのか、という問題提起である。
 リンネ以降、哲学者であるカントやベルクソン、歴史家のホイジンガ、精神科医のフランクル、など多くの学者がさまざまな定義を試みている。
 道具を使うのがヒトの特徴であるという視点からホモ・ファーベル(Homo faber)、遊ぶのが特徴であるとしてホモ・ルーデンス(Homo ludens)などがあるが、いずれもヒト以外の動物でも道具を使ったり遊んだりすることが確認され、ホモ・サピエンス同様実態に合わなくなっている。言葉を話す、社会を作る、というのもヒトだけの特性とは言えないのも同様である。
 ヒトのみが宗教的な動物であるという意味で、ホモ・レリギオス(Homo Religious)という定義もある。この言い方はキリスト教会で頻繁に使われているようであるが、残念ながら「宗教的」の定義自体が明確になされていないことよりヒトの定義もあいまいになってしまっている。過去においては、黒人は犬と同様に魂が無いため天国に行けない、と主張していたのがキリスト教会であり、現代になって過去を忘れて開き直っているようにも思える。

 ただし私は、「宗教的」ということを明確に定義すればホモ・レリギオスというヒトの定義は他の定義と比較して極めて本質的なヒトの定義となるのではないかと思っている。
 宗教的とは何か、それは「祈り」であると思う。祈ることのできる生物が地球上で唯一「ヒト」であると考えれば、この定義がリバイバルできると思う。
 すなわち「ヒト」とは「祈ることができる人」であり、ホモ・プレ(Homo prex)と定義したい。

 将来、ヒトは地球外高等生物(宇宙人)と遭遇することが有るであろうし、その時にはこの定義の一部を変える必要が生じるかもしれない。
 ホモ・プレ・テルス(Homo prex tellus)、「地球の、祈ることができる人」と。