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イエス「真伝」


 イギリスの著名なSF作家であるアーサー・C・クラーク(Arthur C. Clarke)がスティーヴン・バクスター(Stephen Baxter)との共著で「過ぎ去りし日々の光」("The Light of Other Days")というSFがある。
 クラークは「2001年宇宙の旅」の著者としても有名であるが、この「過ぎ去りし日々の光」の舞台は同じ21世紀の中頃の大発明を描いている。人工的に作ったワームホール(時空間の短絡路)を応用して過去を覗けるワームカム(過去眺望装置)が発明され、これを使ってイエス・キリストの12000日(約33年)にわたる生涯を改めて詳細に記録し直すというストーリーである。

 その「再現」された生涯の一部を以下引用する。

 (前略)
 かれは小さいけれども豊かなガリラヤの丘の町、ナザレに生まれました。その誕生は当時としては、ごく普通のものでした。<かれ>は実際にマリアという処女のもとに生まれましたが、これは神殿に仕える巫女のことです。
 同時代人の多くがよく知っていたように、イエス・キリストはローマ軍の兵士、パンテラという名のイリュリア人が生ませた私生児でした。
 それは愛に基づく関係で、強制によるものではありませんでしたーーーもっとも、マリアは当時裕福な建築家で男やもめだったヨセフと婚約をしていましたが。しかし、マリアの妊娠が知られるよになった頃、パンテラはその軍区から転任してゆきました。ヨセフは寛大にも、マリアを妻とし、その男の子を自分の子として育てることにしました。
 しかし、イエスはその出自を恥じることなく、後にみずからイェショ・ベン・パンテラと名乗りました。つまり、パンテラのむすこ、イエスと。(中略)
 イエスには七人ばかりの兄弟姉妹がいました。また、異母兄弟(ヨセフが再婚だったので)もいました。そのなかの一人、ヤコブは驚くほどイエスによく似ていて、イエスの死後、<教会>を(ともかく、その一分派を)を指導することになります。
 イエスは叔父のアリマタヤのヨセフの弟子となって、大工ではなく建築家の修業をしました。そして、少年時代の後期と成人となってからもしばらく、ナザレから北へ五キロほど離れたセッフォリスという都市で過ごしました。(中略)
 <かれ>は結婚しました。(中略)イエスの妻は出産のさいに亡くなりました。<かれ>は再婚しませんでした。しかし、生まれた子は生き延びました。女の子でした。彼女は父の最期をめぐる混乱のなかで行方不明になりました。(中略)
 まだ若年の頃から、<かれ>は独自の哲学を定式化しはじめました。この哲学はごく単純に言ってしまえば、モーゼとピタゴラスの教えを独特なやり方で統合した結果に基づくものと見なすことができます。(中略)
 イエスは当時も、そのあともつねに変わることのない良きユダヤ教徒でした。しかし、<かれ>はいかにしたらみずからの宗教の実践がより良くなるかについて、強力な思想を展開しました。
 イエスは家族たちが、<かれ>のような地位にある男にはまったくふさわしくないと見なした人びとのなかに友情を培いはじめました。つまり、貧民や犯罪者たちのなかに。また、いくつものレスタイ、つまりローマ帝国に対する反乱扇動者たちのグループとも、こっそり関係を深めました。そして、<かれ>は家族とも口論するようになり、ひとりカファルナウムに移り、その地で友人たちと暮らすことになります。
 そして、その時期に、イエスは奇跡をおこない始めます。(中略)
 イエスには背痛や吃音、潰瘍、ストレス、花粉症、ヒステリー性の麻痺や盲目、あるいは想像妊娠といった心因性の病気を、"治療する"ことができました。その"治療効果"はしばしば劇的なもので、見物人たちをとても感動させました。しかし、それは病気であるという思い込みよりも、イエスに対する信仰が強いひとびとに限られていました。しかも、それ以前またそれ以後のすべての"癒し手"と同じく、イエスもまた深刻な器質的な病気を治療することはできませんでした。
 イエスの癒しの奇跡は、当然のことながら、信者の増加につながりました。しかし、イエスを当時の多くの神秘主義から際立たせているのは、<かれ>が癒しとともにおこなった説教のメッセージです。
 イエスは多くの預言が約束している救世主の時代が必ずやって来ると信じていました。ーーーただし、それはユダヤ人が軍事的に勝利する時代ではなく、かれらが純潔な心を得るようになる時代のことです。イエスの信念によれば、この内部の純潔さはうわべの道徳的な人生によって到達できるようなものではなく、恐るべき神の慈悲に完全に帰依することによって得られるものなのです。また、<かれ>はこの慈悲がイスラエルの民すべてに拡がっていると信じていました。不可触民にも、不浄の民にも、奴婢にも、罪人にも。癒しと悪魔払いによって、<かれ>はこの愛の現s実性を証明しました。
 しかし、この占領下にあった国には、イエスのメッセージを理解できるほど洗練された人物はいませんでした。イエスはしだいに、<かれ自身>がメシアであることを明らかにせよと迫る騒々しい信者たちの声に、苛立ちをつのらせてゆきます。また、イエスのカリスマ性に魅せられた煽動者たちも、イエスを憎むべきローマ人たちに対して蜂起するさいの都合のよい旗印と見なしはじめていました。(中略)
 当時、エルサレムはちょうど<過越しの祭り>の季節で、伝統の命じている通り、窮屈な聖なる都のなかで<過越しの子羊>を食べようと集まってきた巡礼でごった返していました。この都にはまた、大勢のローマ軍兵士たちもいました。
 つまり、この<過越しの祭り>の時期、市内の緊張は高まっていたのです。多くの反乱グループが市内で動いていました。例えば、恐るべきローマへの敵対者ゼロット党、大きな祭りの時期につねに暗躍するイスカリイ、つまり暗殺党。
 この歴史的な抗争のなかへと、イエスとその信者たちは歩いて入ってゆきました。
 イエスのグループもそれなりに<過越しのご馳走>を食べました。(中略)
 イエスはゲッセマネと呼ばれている場所へむかいました。(中略)イエスが目指していたのは、ユダヤ教から分派主義を一掃することでした。<かれ>はこの祭りに来ている多くの反乱グループの幹部や指導者たちに会い、平和的なユダヤ教の統一への道を探ろうとしたのです。(中略)<かれ>は祭司長たちの派遣してきた武装兵士のグループに捕らえられました。そしてそのあと、事態はーーー
 (後略)

 以上の話は、後に編纂された新約聖書が伝える奇跡に満ちたイエスの生涯とはかなり趣きが異なっている。
 事実はどうであったのか、私にはわからない。ただ言える事は、クラークとバクスターが「再現」したイエスの生涯には、なぜか既視感と親近感をおぼえる。

[参照文献]
「過ぎ去りし日々の光」下 Arthur C. Clarke/Stephen Baxter著(ハヤカワ文庫)
 Bunting clover leaf map [http://en.wikipedia.org/wiki/File:1581_Bunting_clover_leaf_map.jpg]