#005 因果律

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因果律


 「原因」と「結果」は時間的に先後する現象を区分して名付けたものであり、その原因と結果には相互に不可分の関係があるという法則性を「因果律」と呼んでいる。

 因果律を考える時、私は人類が築いてきた二つの英知があることを知っている。ひとつは仏法であり、もうひとつは数学に裏付けされた物理学である。

 仏教は釈迦牟尼世尊(釈尊)が森羅万象に因果律が厳存するという自らの悟りを基に説かれた教えであり、法華経方便品に十如是として因果律の究極の法が説かれている。この十如是には「因(原因)」と「果(結果)」だけではなく直接原因である「因」とともに「果」に影響を与える環境(間接)原因である「縁」など9つの因果律の発生プロセスとでも言うべき要相が説かれており、更に最初の要相である「性(性質)」から最後の「果」までの9要相は究極して等しくなる、という原理をも含んでいる。
 仏教は時代とともに精密な理論体系として整えられ、現実生活の実践法を融合した形で「仏法」と言われる法体系にまで昇華してきているが、釈尊以来の因果律重視という原理には変化が見受けられない。
 ともあれ、仏法における因果律は仏の悟りが原点にあり、現実の実証との帰納法的なフィードバックによる検証がなされているとはいえ、本質的には演繹法による法則の発見である。
 付け加えるのであれば、仏法による因果律は「因果倶時」(一瞬の中に原因と結果が共に備わっているという原理)と「久遠即末法」(無限の過去と現在・未来の時空状態は同一であるという原理)という時空観に普遍化されている。

 他方、物理学においては因果律を大前提には置いていない。因果律が宇宙の法則であるかどうかは物理学の進化によって実証されていくことであり、逆説的な言い方をすれば物理学は旧理論による因果律の破綻を乗り越えるために新理論が生み出されてきたとも言える。
 ニュートン力学が破綻する現象(光速に近づくと起きる時空間の伸縮)やマクスウェルの電磁気学の矛盾を、光速を制限速度と規定し質量とエネルギーは等価であるとしたアインシュタインの特殊相対性理論が繕い、その特殊相対性理論の重力に関わる矛盾を時空間のゆがみと重力を等価的に説明する一般相対性理論に進化させた。また一般相対性理論の弱点でもあるミクロ世界での素粒子の現象については場の量子論が成果を上げてきた。
 いずれの物理学理論の構築にあたっては数学の力が極めて有効に役立っている事実がある。また、物理学の分野で活用される前に数学が独自の先取りした進化をしていたが故に物理学の進化が可能となったことも起きている。更に数学の分野で宇宙の神秘ともいうべき美しい法則性が発見されることもあり(リーマン予想やポアンカレ予想)、同じく宇宙の深い法則性を探る物理学と哲学的にも相性が良いという不思議な面もある。
 話を物理学にもどすと、現在の最先端の物理学の課題は、重力と量子論の統合であり全ての素粒子とこの宇宙にある四つの力を同じ方程式で表現する「統一理論」の構築である。この統一理論は一般相対性理論ではブラックホールやビッグバン直前の特異点発生の問題も同時に解決するはずであり、これらの局面における因果律の破綻も解決し更に深い次元での因果律を見いだすものと予想される。

 「『そもそも普遍的な自然法則が存在するのはなぜのか』、あるいは同じことだが、『私たちの宇宙はなぜ、ある一定の対称性(宇宙のどの空間も時間も普遍的に物理法則が成立していること)と局所性(物質に直接に影響するのは近くの環境だけで離れた場所の現象には影響されない)に支配されているのか?』。この問いに対する答えに私はまったく見当がつかないが、こう指摘することはできる。もし宇宙がそうした特性を欠いていたなら、複雑さと生命が生じることはなく、この問いを発する私たちがここに存在することもなかっただろう。」とある理論宇宙物理学者が述べているが、宇宙の因果律の本質にせまる興味深い意見であると思う。
 この物理学による因果律の解明は、仮定と検証を繰り返すという面では演繹法をツールとして使ってはいるが、本質的には帰納法による法則の発見である。

 演繹法による仏法、帰納法による物理学(と数学)、この二つの異なったアプローチが私たち自身とその存在の場である宇宙の因果律を明らかにしていることに深い感謝の念を感じる。
 飛躍しているように聞こえるかもしれないが、人間としての生き甲斐の基盤を本源的に確認してくれているからだ。

[参照文献]
 KOzのエッセイ#045
「心の実相 (3) 十如是」
「重力とは何か」大栗博司著(幻冬舎新書 第6刷)
「数学が世界を説明する理由」Mario Livio著(日経サイエンス 2011.12号)