#047 心の実相 (5) 一念三千

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心の実相 (5) 一念三千


① 一念三千の総体
 一念三千は、(1) 十界 (2) 十界互具 (3) 十如是 (4) 三世間 から構成されていることを述べてきたが、これらはそれぞれ独立した視点で心の様相を解明しているが、明らかに、これらの全てが備わった実態が心であり、心にこれらの全てが存在し、働き、機能している姿こそ、心の実相と言える。
 すなわち、心があれば必ず十界があり、十界が備われば必ず十界互具となり、十界互具が存在すれば必ず十如是が働いており三世間が伴っている。これらの全てが相互に関係しつつ融合一体となった姿が心の実相であり、この事実を一念三千と名付けていることになる。
 この事実は、三世間に十界・十界互具更には十如是も収まっていることでもあり、更に言えば、非情世界である国土世間にも十如是の色心にわたる因果の理法が働いていることも含んでいることになる。
 また、十界 X 十界互具 X 十如是 X 三世間 = 三千世間 から、心には三千の様相があるという数にとらわれることが本義ではなく、一念には宇宙森羅万象の法則と存在が凝縮して収まっているという姿が心の実相であることを、この一念三千の法理が示している。

② 心を持つのは?
 一念三千の出処である天台大師の摩訶史観(第七章)に、「夫(それ)一心に十法界を具す」以下、一念三千が明かされているが、更に「介爾(けに)も心有れば即ち三千を具す。乃至所以(ゆえ)に称して不可思議境と為す意此に在り」と追記されている。
 <不可思議なことではあるが、たとえわずかでも心があれば、その心には一念三千の実相が備わっている>という意味となろう。
 私は「心の実相」各抄で、「人間等の心」という表現を用いたが、人間等(仏法でいう「衆生」の私訳)とは人間に限らず心を持っている生命体全てという意味で使っている。もちろんこの地球上では人間が最も進化した知的生命体であり、それゆえ、人間の心が最も広く深くまた容量が大きいと思われるが、最近ではイルカ・チンバンジー・ゴリラ・ゾウ・キリン・オオカミ・カモなど数多くの哺乳類や鳥類など人間以外の生物にも仲間の死を悼む心があることが知られている。これらの人間に比べるとたとえ容量の小さな心であっても、その心には例外無く一念三千の様相が存している、というのが「介爾も心有れば即ち三千を具す」との釈が示していることであろう。
 人の心の実相、心の解明というのが「心の実相」全抄の目的とするところであるが、そのために仏法の真髄ともいえる一念三千の法理を用いた次第であるが、天台大師によれば(即ち、理の一念三千によれば)、人だけではなく心を持つ全ての生命体にわたって、十界、十界互具、十如是、三世間の様相が存在することになる。
 ここで、心を持つ生命体とは、どこまでの広がりがあるのか?
 脳を持つのが心を持つという意義になるのであれば、昆虫や甲殻類もその範囲に入ってくることになるが、<脳=心の器>なのであろうか。これについては理の一念三千では明らかにしていない。
 この疑問について、日蓮大聖人は(即ち、事の一念三千によれば)、魚類や爬虫類、鳥類、哺乳類全般にわたって十界を持つ、と明らかにしている。十界を持てば必然的に十界互具、十如是、三世間が備わる道理であることから、概略、脊椎動物は心を持ち一念三千の姿もしくはその可能性が備わっていることになる。
 (衆生を五戒を具す存在として定義され、「五戒破れたるを四悪趣と云う、五戒失せたるに非ず。」、更に「四悪趣も五戒の形は失せず」云々とある。)

 事の一念三千を心の実相として説かれているが、これには二つの立場が存在している。概略脊椎動物は心を持つが故に一念三千の姿を有し、その中でも特に人間の心に一念三千の様相が強く顕著に現れている、という立場と、一念三千には非情世界(国土世間)を含む事実からは、草木や岩石や更には一塵の物質をも含めた全存在に一念三千の姿が内在しているという究極の普遍化した立場とがある。
 この後者の立場は、日蓮大聖人は難信難解であるとした上で、いわゆる生命体とはみなされていない存在(非生物)をも一念三千の法理が働いているとしている。

③ 成仏の原理
 心と境涯は不二であることを述べたが、心と境涯の実相を明らかにした事の一念三千は、境涯を高め、幸せな心を求める、その究極としての仏の境涯を得る方途をも明らかにした成仏の原理とも言える。
 一念三千とは、釈尊が法華経にて説いた悟達であり、天台大師がこれを理論として体系化した(理の一念三千)。天台は理の一念三千の法門としてこの悟達を理論的に解明したことにより、十界・十界互具により明らかなった心と境涯の最高峰としての仏界の涌現(もともと心に内在している可能性を顕現)と仏の境涯への到達(これを成仏と言う)を修行の最高目的にと昇華させている。
 ただし、この仏界を涌現するための特定の条件については、一般的な方法を明らかにせず、上機上根の限定された者のみが実践可能な観念観法による修行法のみを説いた。このためその後、一念三千の法門は理論のみが天台宗の深秘法として伝えられたが、成仏の実践法としては未完成のままに後世にゆだねられた。
 この未完成であった天台の理の一念三千を再構築し、理論・実践にわたる成仏の原理として完全な形(事の一念三千)にされたのが日蓮大聖人である。
 私は私抄の中で、成仏の原理を一般化し普遍化するという大偉業を仏法3000年の歴史の中で初めて成就されたが故に、日蓮「大聖人」と尊称していることを断っておきたい。
 
④ 三大秘法
 日蓮大聖人は、成仏(一生成仏とも即身成仏とも言う)のための条件として、三大秘法(本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目)を建立された。
 仏界を涌現するための特定の条件とは、仏の実存在を対境として境智冥合の姿(依正不二の姿)をとることにより人間等の心に本然的に内在する仏界を涌現できる、ことを明らかにされた。
 大要を述べるとすれば、この対境が本門の本尊であり、その場を本門の戒壇といい、その場で本門の本尊に向かって唱える題目(南無妙法蓮華経)を本門の題目、とされた。

⑤ 心の実相、その総括
 仏法は一切衆生の成仏を目的とするものであるがゆえに、この仏法の精髄ともいえる事の一念三千による我が身の心の実相の解明は、必然的に我が心と境涯の向上を実現するための実践方法に帰着する。
 仏法を用いないで心の実相を解明することは、人類の知識の進歩にもかかわらず、また脳医学、精神医学、薬学、分子遺伝学、生物学、文学、哲学、更にはロボット工学などの精力的な挑戦が続いているが、未だに心の断片的な現象しか捉えることができず、逆に益々その不可思議な姿が未知の領域を広げているのが実態であろう。
 この意味でこれらの最新の成果も踏まえつつ、人類の智恵とも言える仏法、事の一念三千の法理、を用いて心の実相の解明を試みた次第である。
 もし、内容に批判を受ける部分があるとすれば、それは私が未熟であるがゆえであって、人と心と仏法と科学に熟達していないためである。

[参考文献など]
 KOzのエッセイ#041 「仏法とは」
 KOzのエッセイ#043 「心の実相 (1) 十界」
 KOzのエッセイ#044 「心の実相 (2) 十界互具」
 KOzのエッセイ#045 「心の実相 (3) 十如是」
 KOzのエッセイ#046 「心の実相 (4) 三世間」
「死を悼む動物たち」Barbara J. King著(日経サイエンス 2013.10号)
「死を悼む動物たち」Barbara J. King著(草思社)2014年

「平成新編 日蓮大聖人御書」(大石寺版)戒体即身成仏義、
  如来滅後後五百歳始観心本尊抄、他
「六巻抄」(大石寺版)三重秘伝抄、文底秘沈抄、依義判文抄
「平成七年度法華講連合会夏期講習会 御法主日顕上人猊下御講義集」
 他。