#022 ペルーの地上図形

022b_MapNazcayy
ペルーの地上図形


 ペ
ルー南部ナスカ台地には日本では「ナスカの地上絵」と呼ばれる巨大な地上図形がある。一般的には「ナスカ線状図 (Nazca Lines)」と呼ばれている。
 元々インカ時代以前から現住民には部分的に知られていた事と思われるが、1932年にペルーの考古学者二人(フーリオ・セサール・テリョとトリビオ・メヒア・セスペ)によって発見され、1939年に米国の歴史学者のポール・コソックによって世界に知られるようになった。

 2006年以降に山形大学の衛星写真を使った調査によって新たに発見されたものも含め1000以上の線状図が見つかっている。その内訳は、動植物の図形約30点、幾何学模様約220点、直線760点以上となっている。ハチドリとかサル、クモや通称「宇宙飛行士」などの図形が注目されているが、実際には台形・三角形・長方形などの幾何学模様や直線が大半を占めている。これらナスカの地上図は北のインへニオ川(Rio Ingenio)と南のナスカ川(Rio Nazca)とに挟まれたナスカ台地(Nazca Pampa)の東西約20km、南北約15kmの範囲に描かれている。

 このナスカ線状図とは別にナスカ台地に北の渓谷を流れるインヘニオ川を挟んで北側のパルパ台地にも東西約7km、南北約11kmの範囲にパルパ線状図(Palpa Lines)と呼ばれる一群の地上図形がある。
 ナスカ、パルパの他にもオクカへ(Ocucaje)や海岸地帯のパラカス(Paracas)などペルー南部イカ(Ica)州の全域にわたって地上図形が点在する。

 ナスカ線状図については多くの調査がなされているが、誰がいつ、なぜ作ったのか未だ全体像は見えきっていない。

 なぜ白い線や面が見えるのかについては明白である。ナスカ周辺はパンパと呼ばれる乾燥した地域であり、地表の岩石は酸化物の層に覆われて暗赤褐色をしているが、その岩石を10~30cm程取り除くとその下には酸化が進んでいない明るい沖積層が現れる。従って表面の岩を取り除くエッチング作業によって周辺の暗い部分と対比で明るい部分ができる。また、取り除いた岩を明るい部分の縁に積み上げる事によって線が強調される。小雨乾燥のパンパ気候により、古いものでは1000年以上経過しても図形が消える事無く残っている。

 また図形の制作方法についても、それほど高度な技術を使わなくても人力をつぎ込めば拡大した図形を制作できることはほぼ確実である。地表の岩石を図っておいた線の外に粘り強く運び出せばよい。動植物の抽象図形はこの方法で作られたのであろうし、数十センチから数メートル幅の直線もこのように人力にたよって作られたと想像するのは容易である。

 ただ、底辺幅数十メートル、高さ数百メートルの三角形や台形の巨大図形については、単に労働力をつぎ込んで作ったと納得するのは早計であろう。これらの図形はほとんどが底辺(長底辺)が谷を臨む崖に向かって制作されており、取り除いた表面の岩石をこの谷に運ぶようにしなければ両側にかなりの山を築いてしまう事になってしまう。このことより他の図形と制作時期も大きく異なる可能性があり、誰がいつ、なぜ、どのように作ったのかについて同時に解明されることになると思われる。

 直線図形についてはかなりのものもがインカ時代やそれに近い時代に作られたのではないかと思われる。少なくともインカ道と推定できる間隔の異なる3本の平行直線や、中心地(ラインセンター)からの歩行道と思われるものも多く、更にナスカ最大の直線図形の東西方向の線は東方向から北に約+21度傾斜しているが、これはまさにインカ帝国の首都であったクスコ(Cusco)を指し示している。
 このようにインカ時代またその前のプレインカ時代などに描かれたと思われる動植物などの抽象図形や大半の直線図形とは異なり、台形・三角形などの図形の多くについては、インカやプレインカの人々とは全く異なる高度な技術を持った外界の人々が制作した可能性を否定できないと私は指摘しておきたい。

 外界人とははっきりしない言い方であるが、15世紀に誕生しアンデス地域を統合したインカ帝国ではなく、その前の紀元7~9世紀のワリ文化、紀元前1世紀からのナスカ文化、更には紀元前4世紀頃からのパラカス文化などに属する人々でもなく、また南部ペルーからボリビアにかけて紀元前2世紀頃から1000年間にわたって栄えたプレインカのティワナク文化の諸族でもない、全く別の時代の別の人種・民族を指している。この外界人がどこから来たどのような人々なのかも全く不明ではあるが、例えば、オクカへ(Ocucaje)の近郊で発見された数万点に及ぶ線刻石に描かれている高度な技術文明を持っていたと思われる人々が、ナスカを拠点として利用していた私の言うところの「外界人」なのかもしれない。
 オクカへの線刻石に描かれている内容は不明な部分が多いが、線刻画となって伝えられている人々は航空機を使いこなすほどの高度な技術をもっていた可能性がある。もしこの「外界人」がナスカやパルパの巨大な幾何学模様(三角形・台形・長方形)に関係していたとするならば、これらの図形はこの外界人が使っていた航空機の滑走路もしくは離着陸ガイド標識なのかもしれない。

 幾つかの仮定が前提となっているが、オクカへとナスカ・パルパとの関連を精密に研究した上で改めて幾何学図形について「誰が、いつ、なぜ」を考え直してもよいのではないかと思う。
 私は過去において広まった「宇宙人のUFO空港」という主張を踏襲しているのではない。一見無関係と思われるような遺跡や遺物の陰に隠れている客観的な断片を繋ぎ合わせて全体像を推計したときに従来の固定観念が突き崩されるかもしれない、と言っているにすぎない。
 ナスカの地上図形は、抽象画と直線を幾何学模様とに立て分けて、尚かつ幾何学模様こそがナスカの不思議の当体である、と見立て直したときにパズルが解けていくように思える。
 
(追記)今月(2013年1月11日)に、Google Earth を利用して新たな(と思われる)図形を発見した。Nazca市の北西約30km、Palpa市の南南東約10kmのIngenio川流域の東西4.6km、南北2.2kmの範囲で、細長い台形図形7カ所、長方形(太い直線)3カ所、2本平行線1カ所を発見した。仮に、New Palpa Linesとしておく。

[参照文献]
「ナスカの地上絵」完全ガイド(ダイヤモンド社)
「ナスカ地上絵の謎」アンソニー・F・アヴェニ著(創元社)
「人類史をくつがえす奇跡の石」ハヴィエル・カブレラ・ダルケア著(徳間書店)
「失われた文明 インカ・マヤ・アステカ展」(NHK/NHKプロモーション)
DVD『古代遺跡ミステリー アメリカ・アジア編」(NHK)
Líneas de Nazca [http://es.wikipedia.org/wiki/]
Nazca Lines [http://en.wikipedia.org/wiki/]